
勝利の秘訣【技術編】5
『柔軟は武道にとって生命線。身体や関節が柔らかくなればなるほど、技の可能性が広がり、切れが増す。柔軟と技は直線的に繋がっている』
【解説】
《武術にとっての柔軟とは?》
武術や格闘技では体を柔らかくする「柔軟」は必須です。
おそらくほとんどの道場で“まず柔軟”から練習が始まるでしょう。
スポーツにおいても柔軟体操は行います。
しかし、スポーツの柔軟体操と武道、格闘技における柔軟とは、意味と効果において全然違うものです。
武術にとっての柔軟とは、まさしく「生命線」と呼ぶべきものです。

流派によっては、柔軟を念入りに行うところと、行わないところがあるようです。
それはどうしてかというと、その流派の「技」に関係しています。
そして、その流派の技は「試合のルール」に大きく関係しています。
試合のルールの違い、技の違いによって柔軟の強弱が発生している、というのが本当のところです。
例えば、テコンドーでは、30分~45分くらい柔軟に時間を使うことが多い。
しかし、防具付き空手の流派で、直線的な突きや蹴りが主流の技であると、それほど柔軟を重視しない傾向があります。
ですが、武道全体、格闘技全体を見る限り、「柔軟」は非常に重要な練習メニューです。
それはなぜか?
《身体(関節など)が柔らかになるということは?》
武術における柔軟とは、主に「関節」と「筋」を柔らかくするものです。
関節と筋を柔らかくする意味とはなんでしょうか?
関節や筋が柔らかくなるということの意味は、
「出せる技が増える」
「動きがスムーズになる」
「回転系の技が使用できる」
「上段への攻撃技がスムーズになる」
「ケガをしにくくなる」
などです。
武術者として使える技の種類を多くし、動きを滑らかにし、なおかつ素早い動きをするためには「身体が柔らかい」ことが必然的に求められるのです。
身体(関節や筋)が硬いと上段技が出せなくなります。
また、水の流れのようなスムーズな動きがとれず、どこかしら「よいしょ!」「どっこいしょ!」的な動きに近づいてしまいます。
身体のやわらかさは、武術者にとっては必須であり極端な言い方をすれば、「身体の柔らかさ=強さ」と言ってもいいでしょう。
正確には、身体の柔らかさが強さを生み出す、ということです。
柔軟は技にものすごく影響してくるので、柔軟を絶対軽視してはいけません。
ですが、武術初心者にとって、柔軟は“痛み”を伴います。
根性が無いとその痛みから避けようとしてしまいます。
すると、いっこうに身体が柔らかくならず、技も必然的に上達しません。
テコンドーが他の武道よりも柔軟を多く行うのは、テコンドーが足技(蹴り)の武術だからです。
蹴りと突きでは、蹴りの方が柔軟(関節や筋)の柔らかさが数倍必要とされます。
特に股関節が硬いとテコンドー独特の蹴り技が出せません。
しかし、直線的な突きが主体の試合運びをする空手の流派だと、蹴り技のバリエーションも少なく(主に前蹴り)、それほど股関節の柔らかさが必要ないということがあります。

相撲道では、「股わり(股関節を真横に広げる柔軟)」が必須です。
相撲取りは股関節を真横に広げ、ピタッと地面に脚の裏側が着きます。
それほど柔軟でないと、シコを踏んだり、踏ん張った体勢での勝負ができません。
ですから、相撲部屋に入門すると、どんなに痛がっても180度開脚できるようになるまで股わりをさせられます。
しかし、それは相撲取りがケガをしないためであり、相撲の技を力士が出せるようにするためでもあるのです。
はっきり言って「柔軟」は基本練習よりもさらに“地味”です。
武術を習う者の中には、地味な練習を好まない人、避けようとする人、手を抜く人がいます。
しかし、それでは武術者としての実力は上がりません。
必ずどこかで壁にぶち当たります。
というか、その前にいっぱしの武術者として成長しないでしょう。
(だから、ほとんどの道場では、柔軟をきっちり行う)
硬い筋を柔らかくする、狭い関節を広げる、ということは“痛い”ものです。
ですが、その“痛さ”に耐えてこそ、一人前の武術者です。
武術界の法則とでも呼ぶものがあります。
それは「強いやつほど、身体が柔軟である」ということです。
つまり、強くなりたかったらしっかりと柔軟をして身体を柔らかくすることです。
柔軟はまとめてすることも、一度身体が柔らかくなったからいい、というものではありません。
毎日毎日のことであり、武術者であるためには、武術の技を繰り出すためには「常に柔軟を行う」ことが必須なのです。
武術者にとっては避けて通れない道なのです。
武術者初心者の人の中には柔軟の痛さが嫌で、手を抜いたり、妥協した柔軟ですます人がいますが、そうした人はパワーやケンカ上手などの他の理由がない限り、上手くも強くもなりません。
要するに、「上手くなりたい」「強くなりたい」のならば、身体を柔軟によってこれでもかってくらい柔らかくすることです。
結局、武術における柔軟の問題とは、「痛さとの闘い」であり、「出せる技の可能性」であるのです。
誰よりも強くなりたいのなら、柔軟をして身体を柔らかくすることです。
誰よりも上手くなりたいのなら、柔軟の傷みに耐えて技を磨くのです。

《柔軟のもう一つの効果》
柔軟をして身体が柔らかくなり、上段蹴りも容易に出せるし、動きもスムーズになり、スピードもついてきた。そうなるとある効果が出てきます。
それは柔軟の効果である、「出せる技の種類が増える」「動きがスムーズになる」「スピードがつく」「ケガをしにくくなる」とは別の効果が生まれてくるのです。
それはなにかというと、「美しさ」です。
磨きに磨かれた技というものは「美しさ」をともないます。
「華麗な技」と呼ぶにふさわしい技を持てるようになります。

武術の技を美しく見せる要因は「身体の柔らかさ」にあるのです。
身体が硬くて強い人がいたとしても、その強さは「ロボットのような強さ」でしかないのです。
これを文字で説明するのは非常に難しいのですが、たとえて言えば、漫画『北斗の拳』における南斗水鳥拳のレイを思い浮かべてください。
南斗水鳥拳のレイが放つ技を見てユダはつい「美しい!」とつぶやいてしまいます。
そうです、極められた技を生み出すのは身体の柔らかさがあってこそなのです。
極められた技は美しさを伴うものなのです。
要するに、武術における「美」を生み出す母体が「柔軟」なのです。
単に強いだけ、単に上手いだけではなく、観る人を魅了する技で勝利したいのならば、柔軟によって身体を柔らかくすることです。
武術の奥には「美」があるのです。
《まとめ》
武術や格闘技では体を柔らかくする「柔軟」は必須。
武術における柔軟とは、主に「関節」と「筋」を柔らかくするもの。
武術にとっての柔軟とは、まさしく「生命線」と呼ぶべきもの。
関節や筋が柔らかくなるということの意味は、「出せる技が増える」「動きがスムーズになる」「回転系の技が使用できる」「上段への攻撃技がスムーズになる」「ケガをしにくくなる」など。
武術者として使える技の種類を多くし、動きを滑らかにし、なおかつ素早い動きをするためには「身体が柔らかい」ことが必然的に求められる。
蹴りと突きでは、蹴りの方が柔軟(関節や筋)の柔らかさが数倍必要。
身体が柔らかくならないと、技も必然的に上達しない。
柔軟を避け、手を抜く人は、いっぱしの武術者として成長しない。
「身体の柔らかさ=強さ」
「身体の柔らかさ=上手さ」
武術界の法則=「強いやつほど、身体が柔軟である」。
磨きに磨かれた技というものは「美しさ」をともないます。
「華麗な技(特に蹴り技)」を身につけたいのならば、柔軟を徹底的に行うべし。
武術の奥には「美」がある。
結局、武術における柔軟の問題とは、「痛さとの闘い」であり、「出せる技の可能性」である
技術編5
『柔軟は武道にとって生命線。身体や関節が柔らかくなればなるほど、技の可能性が広がり、切れが増す。柔軟と技は直線的に繋がっている』
押忍!