『心得13 ~天狗にならないための戒めとは?(真の武人の姿)~』
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心得13

『強さばかり誇るのは天狗。真の武人は静かで穏やかである』

【解説】

《天狗の特徴》

武術、武道における『天狗』とは何か?
武の道における天狗とは、「己惚れ者」という意味である。
『天狗』と言う生き物は常に「強さ」を求める者であり、「優しさ」と「礼儀」を知らぬ者です。
ですから、武の道における天狗とは肉体的な強さを自慢し、心のあり方を軽視する者です。

武の道における大切なことは、「心のあり方」です。
なぜなら、心のない武術は単なる暴力装置でしかないからです。
礼の心、仁の心、義の心なくして武術を身につけた者は邪道なのです。

実を言うと格闘技界には天狗的傾向性を持った人間が多いものです。
それは「強さしか求めない」「強ければいい」という「強さ至上主義」です。

しかし、武士道に共通する「武の道」は、そうではありません。
義、忠、仁、礼、などを大切にするものです。
「心技体」と表現されるように、武道においてはまず「心」ありきなのです。
それを間違えて、強さばかり求めるのは間違いです。
間違いと言うのは、正しき武の道ではない、ということです。

何のための強さなのか?
誰のための強さなのか?
その至上命題を持たない強さは天狗の道なのです。

〈天狗的人間の特徴〉

天狗の特徴は、「自己中心的」「他者を犠牲にする傾向性」「自己陶酔が強い」「強さ至上主義」です。

武術界、武道界における天狗的な人間の特徴とは、「肉体的、技術的な強さしか求めない」「勝負に勝つことが存在意義となっている」という傾向性を持った人たちのことです。
そこには「己の心」を見つめる求道者としての姿勢が欠落しています。
「謙虚さ」「自助努力」「他者へのいたわり(優しさ)」が欠けているのです。

《真の武人の姿とは?》

では、天狗的な傾向性が武人の本来あるべき姿ではないとしたならば、あるべき武人の姿とはいったいどんな姿でしょうか?

真の武人の姿とは、一見すると「物静かで穏やか」「謙虚で誠実」な人柄をやどしながら、いざ闘いとなると「正義の心」「勇敢さ」「潔さ」を発揮する人のことです。
普段は礼儀正しく、思いやりをもって他者と接することができるが、何かを守るため、誰かを守るためなら火のなかにも飛び込む勇気をあわせ持っている人のことです。

真の武人の姿として最も大切なことは「己の弱き心」と闘っているかどうかです。
つまり、他者と勝負するまえに悪しき自分と闘っているかどうかということです。
己の弱さや間違いと闘えない者は、真の武人ではなく、天狗的傾向性の己惚れ屋ということです。
人間として生きるならば「強ければいい」という価値観は武術、武道の世界でも通用しないのです。
もちろん「武の道」は強さを限りなく求めるものですが、その目的と動機が大切だということです。
自分の為の強さなのか、自慢するための強さなのか、己の精神を磨くために強さを求めているのか、何かを守るために強くあろうとしているのか、という違いは似て非なりなのです。

真の武人の姿とは?

穏やかで物静かでありながら、その心の奥に激しい闘志を抱く者。
礼儀を守り、正義のためなら己を犠牲にして闘うが、無益な闘いや無用な闘いを好まない者。
相手を屈伏する闘いよりも、何かを守る闘いにこそ真の力を発揮する者。
他者の称賛を求めるのではなく、己の弱さと闘い勝つことに価値を見出す者。
自慢することを良しとせず、自己犠牲の精神を発揮する者。

そうした姿こそ真の武人だと言っておきます。

《まとめ》

武の道における天狗とは、「己惚れ者」。
天狗は、「優しさ」と「礼儀」を知らぬ者。
武の道における天狗とは肉体的な強さを自慢し、心のあり方を軽視する者。
武の道における大切なことは、「心のあり方」。
「心技体」と表現されるように、武道においてはまず「心」ありき。

武術界、武道界における天狗的な人間の特徴とは、「肉体的、技術的な強さしか求めない」「勝負に勝つことが存在意義となっている」という傾向性を持った人たち。
そこには「謙虚さ」「自助努力」「他者へのいたわり(優しさ)」が欠落している。

真の武人の姿とは、一見すると「物静かで穏やか」「謙虚で誠実」な人柄をやどしながら、いざ闘いとなると「正義の心」「勇敢さ」「潔さ」を発揮する人のこと。
真の武人の姿として最も大切なことは「己の弱き心」と闘っているかどうか
つまり、他者と勝負するまえに悪しき自分と闘っているかどうか。
穏やかで物静かでありながら、その心の奥に激しい闘志を抱く者こそ真の武人。

心得13

『強さばかり誇るのは天狗。真の武人は静かで穏やかである』

押忍!

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