
心得15
『強さとは優しさ。優しさとは強さ。二つの境地を融合した心が真の武道家の境地』
【解説】
《『強さとは優しさ』の意味とは?》
「強さとは優しさ」
なんだか哲学的ですね。
いつからこのブログは哲学の語りになったんだ、と言われそうですが、私は武道(武術)には哲学(思想や理念)があるべきだと思っています。
もっと言うと「術」の奥にいかなる思想や理念があるのかが、その「術」の真の姿であると思っています。
事実、武術や武道の根底には「思想」「目的」「理念」などがあります。
武術はただの「暴力装置」ではないのです。
空手には、「空手に先手なし」という理念があり。
少林寺拳法には、「力愛不二」という思想があります。
(少林寺拳法にはこのほかにも理念や思想が数多くあります)
武術の本来の存在目的とは「防衛(自衛)」のためであることが非常に多い。
しかし、防衛(自衛)するためには強い相手を倒さねばならない。
よって、こちらも強くなくてはならない。
ということが必然的に導かれるのです。
平和な日常、大切な家族、運命共同体の一族、これらを“守るために”強さを求めた。
人間社会の必然と言えます。
つまり、自分と自分の大切な人たちを守るためには強くなくてはならない。
強さの目的は「平和」であり、他の人たちへの「優しさ」である、そう思えます。
「守る」ということは、他の者への「優しさ」であり、自らの「強さ」であるのです。
ですから「守れるだけの力」を身につけるために肉体を鍛え上げ、暴漢等から身を守る戦闘術を身につける、それが武術の姿であると思います。
何のための強さなのかと言えば「優しくあるため」ということができます。

《「優しさとは強さ」の意味とは?》
人間として大切なことは「優しさ」であると思えます。
しかし、優しさとは断じて優柔不断ではなく、弱さでもないのです。
よく性格がおとなしいから(弱いから)優しく見える、という方もいます。
それはそれでその方の個性だからいいでしょう。
ただ、優しさにもレベルがあるように思えます。
高いレベルの優しさは強さの裏付けがあるものであるのです。
つまり、強いからこそ優しくなれる、ということです。
精神が弱くては、自分のことしか考えていないなら、真の意味で他の人へ優しくはなれないのです。
ですから優しいということは強さが「別の顔」を見せたものということが出来ます。
強いから自制できるのです。
強いから自らを謙虚に保てるのです。
強いから他の人へのいたわりの心が持てるのです。
心が強いからこそ、優しくなれるのです。
心の強さと肉体の強さは関連しているのです。
筋肉と精神的力とは互いに影響し合っているものなのです。

《真の優しさと間違った優しさ》
強くありながら優しくもある。
それはどんな境地でしょうか?
武道家(武術家)としての強さとは自らの肉体を鍛え上げ、技を磨きあげることによって生まれてくる精神的強さです。
しかし、ここに邪道に入り込む者もいます。
強さ=他の者を虐げる力、他の者を支配する力、他の者の上に立つために使う力、己を偉しとするための力、こうした勘違いをする者が出てくるものです。
また、優しさとは他の者の堕落さえも許すことと勘違いする人もいます。
堕落する者、間違いを犯す者を正しく導くには強さが必要なのです。
間違いを教導し、正しい道に誘導するためには強くなくてはならないのです。
そうした意味で強さとは優しさと融合していなければならないのです。
「強さ」と「優しさ」が融合した境地とはどんなものでしょうか?
それは「利自即利他の境地」と言えます。
自らを厳しく律し、人としての道を踏み外さずに修行・鍛錬(人として成長)する。
自分のためだけに生きず、他の人を生かすため、他の人を援けるため、他の人を喜びを生み出す為に生き、他の人を守るために生きる。
そうした生き方が真の武道家(武術家)の生き方であると思えるのです。
武術家だから単に強ければいいのではなく、身につけた強さが優しさに変わらねば本物ではない、ということです。
優しくあるためには強くなければならず、強くあるからこそ優しくなれるのです。
武道家(武術家)はそうした境地を目指すべきであると思います。

《まとめ》
武道(武術)には哲学(思想や理念)があるべき。
「術」の奥にある思想や理念が、その「術」の真の姿。
武術の本来の存在目的とは「防衛(自衛)」のため。
“守るために”強さを求めた=武術(武道)の本質。
強さの目的は「平和」であり、他の人たちへの「優しさ」。
優しさとは断じて優柔不断ではなく、弱さでもない。
心の強さと肉体の強さは関連している。
力と精神的力とは互いに影響し合っている。
堕落する者、間違いを犯す者を正しく導くには強さが必要。
間違いを教導し、正しい道に誘導するためには強くなくてはならない。
「強さ」と「優しさ」が融合した境地=「利自即利他の境地」。
身につけた強さが優しさに変わらねば本物ではない。
優しくあるためには強くなければならず、強くあるからこそ優しくなれる。
心得15
『強さとは優しさ。優しさとは強さ。二つの境地を融合した心が真の武道家の境地』
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