<strong>『心得18 ~“闘気”とは鍛え抜かれた肉体と精神が発する強い正義心!~』</strong>
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心得18

『闘気を放て! 高い目標を持て! 信念を持て! 祈りにより軍神の力を身にまとえ! なにがなんでも勝利を手に入れると熱望しろ! 必ず勝てると心の底から信じろ。いままでの辛い練習を思い出せ! 苦しみ抜いた練習は必ずや栄光をもたらす!』

【解説】

《闘気と目標と信念》

武道初心者の方は「闘気を放て!」と言われてもピンとこない、というか“闘気”というものをつかめないと思います。
「高い目標」と「信念」ならなんとなく理解できる、というのが武道初心者でしょう。

まず言っておきたいことは、「武道(武術)」とは精神的な要素が非常に強いものであるということです。
戦闘術なんだから肉体的要素、反射神経、戦闘のセンスが大事なんじゃないのか?
と思っている方もいるでしょう。
しかし、武道(武術)の道に深く入った人は「目に見えない力(肉眼では見えにくい力)」を重要視するようになります。
目に見えない力の代表が「精神力」です。
武道、武術における“強さ”とは、「精神力による強さ」なのです。
「精神力による強さ」、これを「気」とも言います。

別な言い方をすると精神力が強いからこそ肉体も強くなり、技も熟達するのです。
神業の境地になるためには、技に見合った精神が必須です。
逆に言えば、精神無き神業はあり得ません。

肉体が精神を支配するのではなく、精神が肉体を支配するという考えがなければ、武道の奥深さを感じずに終わってしまうでしょう。

高い目標と言っても人それぞれですが、大切なことは簡単に手に入るような目標は目標ではない、ということです。
自分の才能を把握したうえで、自分の才能を伸ばすためには、実力より高い目標が必須なのです。
それがあってはじめて真の意味での努力が始まるからです。

「信念」がなぜ必要かというと、「信念なきは浮草の如くはかないもの」だからです。
信念があってこそ、諦めず努力できるし、辛い稽古を続けられるのです。
武道における信念とは、「心の正しさ」です。
心が正しいとはどういう意味でしょうか?
これは様々な角度から言うことができますが、今回のテーマに当てはめれば「驕らずに己を鍛え上げる心」のことです。
肉体を鍛え、技を磨きあげても、それが己の名誉心や驕り、自慢を増長するものであるならば、野獣と変わらないでしょう。
鍛え上げて驕らない、ということは意外に難しいことであり、武道者の至上命題でもあるのです。

「心の正しさ」とは、正しい目的と手段をもって闘うということです。
自分の進んでいる道に誤りはないという自信です。
つまり、卑怯なことはしない、ズルいことはしない、という信念であり、実力で勝つという信念であり、弱き者を助けることこそ力である、という信念なのです。

高い目標を持つということが高尚な状態となると、「高貴な精神」となります。
信念に正しさがあってこそ「高貴な精神」を裏支えします。
行きつく果てが「正義」となります。
正義を体現できる実力がつくからこそ武道は肯定されるのです。
結局、「闘気」とは鍛え抜かれた精神と肉体が「正しい道」を歩んでいる自覚からくる強い正義心なのです。

しかし、正しさをまとわず、邪(よこしま)で傲慢な武術者が稀にはいます。
それは闘気とは言わず「邪気」といい、正道を歩む者とは反対の「魔道を歩む者」なのです。

「闘気」とはある意味では「邪念を捨てた境地」であり、「正しさを身にまとった精神の強靭な力」であり、「悪を砕く強い念い」なのです。

武道初心者の方が心掛けなければならないのは、「精神あっての力である」ということです。
人としての純粋な精神や正義感のない武術(力)は、単なる狂気、凶器でしかないということです。

《「勝つ」というイメージの裏付けとは?》

「闘気」のイメージが湧かない方は「軍神」を思い描いてみるとなんとなくイメージが湧くかもしれません。
武道をやる者に避けて通れない道は「勝負による優劣がつく」ことでしょう。
つまり、「試合」です。
武道、武術の世界は完全に実力の世界であり、試合がある限り優劣がはっきりと出ます。

私が初心者の方にアドバイスするならば、「試合に臨むにあたって、勝利を熱望せよ」ということです。

「勝てなくても参加することに意義がある」
「勝てるかどうか不安だ」
「勝ちたいけど、強そうな人がいて、勝てる自信がない(揺らぐ)」
「運が良ければ勝てるかも」
「俺は強いから勝てるはずだ」
「なんとしても勝ちたい」
「勝てるだけの練習(稽古)はしてきた。だから勝つ」

思いは人それぞれでしょう。
ですが、理想であり初心者の方が目指す境地は「勝てるだけの練習(稽古)はしてきた。だから勝つ」、です。
注意して欲しいのは最後の言葉。
「だから勝てる」ではなく「だから勝つ」です。
「勝てる」と「勝つ」という言葉(思い)の違いとは、意気込みと実績(練習量)の違いです。
つまり、裏付けがしっかりしているのか、それとも単なる根拠の緩い願望なのかの違いです。
「勝てる」と「勝つ」の違いは、「勝てる」という思いは慢心や油断になる場合がある。
これに対し「勝つ」というのは裏付けを持った自信であり「熱望」である。
という違いです。

ただし、どんなに練習を積んできても、どんなに才能があっても、最後の最後まで(試合直前まで)不安や恐怖は残るものです。

《試合に臨んで、不安や恐怖を感じるということの意味》

どんなに実績のある選手でも、どんなに才能のある選手でも、試合前や直前には不安や恐怖がよぎるものです。
しかし、勝つ選手に共通することがあります。
それは「勝つための練習を積んできた」という実感です。
その実感は半端な練習では生まれません。
辛く、苦しい練習(稽古)に耐え抜いた者しか味わえない境地です。
それが「信念」となり、強い精神力を発揮するのです。
肉体の強弱は精神に影響し、逆に精神の強弱も肉体に影響します。
肉体や技の差は実力者となればわずかとなりますが、精神力の違いは肉体の差よりも大きな差があります。

武道初心者の方に言うならば、「まずは練習量」であるということです。
上級者は「練習量」+「質」が求められます。
ですが、初心者の方はとにかく練習量を増やすことが重要なのです。

試合に臨んで「不安」や「恐怖」を感じるならば、それは「練習(量)」が足りなかったということです。
「練習は嘘をつかない」というのが武道(武術)の世界の法則でもあるのです。

辛く苦しい練習を耐え抜いて己を鍛えてきた者には、いずれ「闘気」を身にまとえるようになります。
初めは「自信」の存在を感じ、やがて「信念」となり、いつしか「闘気」となります。

強く正しい精神の持ち主こそ、強さを求める資格があり、また現に強くなり得るということを初心者の方は肝に銘じてください。

《まとめ》

「武道(武術)」とは精神的な要素が非常に強い。
「目に見えない力」を重要視せず武道の奥深くを覗くことはできない。
武道、武術における“強さ”とは、「精神力による強さ」。
武道における信念とは、「心の正しさ」。
(正しい目的と手段をもって闘う)
「闘気」とは鍛え抜かれた精神と肉体が「正しい道」を歩んでいる自覚からくる強い正義心。
「闘気」とは「邪念を捨てた境地」であり、「正しさを身にまとった精神の力」であり、「悪を砕く強い念い」。

「試合に臨むにあたって、勝利を熱望せよ」
初心者の方が目指す境地は「勝てるだけの練習(稽古)はしてきた。だから勝つ」。

どんなに実績のある選手でも、どんなに才能のある選手でも、試合前や直前には不安や恐怖がよぎるもの。
武道初心者の方に言うならば、「まずは練習量」である。
初心者の方はとにかく練習量を増やすことが重要。
試合に臨んで「不安」や「恐怖」を感じるならば、それは「練習(量)」が足りなかったということ。
「練習は嘘をつかない」というのが武道(武術)の世界の法則。
辛く苦しい練習を耐え抜いて己を鍛えてきた者には、いずれ「闘気」を身にまとえるようになる。
初めは「自信」、やがて「信念」、いつしか「闘気」となる。

心得18

『闘気を放て! 高い目標を持て! 信念を持て! 祈りにより軍神の力を身にまとえ! なにがなんでも勝利を手に入れると熱望しろ! 必ず勝てると心の底から信じろ。いままでの辛い練習を思い出せ! 苦しみ抜いた練習は必ずや栄光をもたらす!』

押忍!

『心得19 ~命を捨てる覚悟が出来たとき、一矢報いるチャンスは訪れる!~』

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