『修練編4 ~勝利を得るは試合にあらず!~』
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勝利の秘訣【修練編】4

『勝利を得るは試合にあらず。勝利を得るは日々の厳しい練習の中にあり! 強敵は他人にあらず。己こそ真の強敵なり』

【解説】

《勝利を得るは試合にあらず》

誰もが試合で勝利したいと願っているでしょう。
しかし、最後まで“勝ち”で終るのはたったひとり。
優勝者以外は“負け”を味わうわけです。
それでも、一つでも多く勝ちたい。
一回戦だけでもいいから勝ちたい、と願うものでしょう。

武道初心者の方に申し上げます。
「試合とは、練習の成果でしかない」ということです。
もし、「俺は才能があるから練習は適当でいい」なんて考えている人がいましたら、いずれ必ず負けを味わい続けると言っておきます。
武道、武術においても「才能」「天賦の資質」はありますが、それは「努力」を凌駕するものではありません。
言ってしまえば、「努力できる才能」こそ天才の証です。

つまり、試合における勝利とは、「練習(修練)の中にこそある」ということです。
簡単な言い方をすれば、「勝ちたければ、勝てる練習をする」ということです。
その方法等は他の記事でも語っていますので、他の記事を参照ください。

勝つために大切なことは、「意識」なのです。
勝利は「勝ちたい」と願ったものに与えられます。
「勝ちたい」と願った度合いに応じて与えられます。
その願いは必ず修練として現れます。
つまり、「勝ちたいという願い」の度合いに応じて練習が作り出されていくということです。
この帰結として、強く勝ちたいと願っていない人には勝ちは与えられないという現実が待ち受けているのです。

要するに、「勝ちたいという強い願い」と「厳しい練習」は連動している、ということです。
厳しい練習をこなした者に勝利が訪れます。
厳しい練習をするには勝ちたいという強い動機が必要なのです。

ですから、どうもあまり勝てないと感じている方は、自分の「思い」を点検してみることです。
もちろん、練習の中身もです。

「勝利を得るは日々の厳しい練習の中にあり!」と肝に銘じてください。

《勝ちを妨げている最大の敵は「己」》

では、「厳しい練習」を妨害している最大の要因は何でしょうか?
それは「己の怠け心」及び「慢心(己惚れ)」です。
人間はどうしても自分に甘くなります。
勝利したければ厳しい練習をする必要があります。
ただの練習ではなく、普通の練習でもなく、「厳しい練習」と言っているのです。
他の人と同じような練習量及び練習内容では勝てません。
練習量と練習内容に優ってこそ、試合にて勝利できるのです。

しかし、人間の心には「楽をしたい」または「きついことを避ける」という傾向性があります。
ですから、試合の勝利を妨げている張本人は自分自身である、と認識しなければいつになっても試合で勝利することはないでしょう。
もし、勝ったならばそれは「誰でも勝てる試合」でしょう。
要は、相手が自分よりも経験不足または極端に運動神経において劣っているから勝っただけということです。
そうした勝利が嬉しいでしょうか?
心の底から喜べるでしょうか?
自分を褒めてあげたい、と思うでしょうか?

苦戦しながら、対等または対等以上の相手に勝利してこそ、勝利の味わいが深いものになるのではないでしょうか。

初心者の方は、以下の言葉を心に刻んでください。
本当に強い人間は、「自分を強いと思っていない」と。
なぜならば、理想が高いところにあるので、そこに至っていない自分がよく分かるからです。
それは謙虚であるということと同義なのです。
しかし、少し腕っぷしが強いとか運動神経がいいだとか思っている人は、己惚れてしまうので練習量が多くなりません。
つまり、己惚れている人間は、強さの根源を自分の才能や持って生まれた能力に頼っていて、努力に頼っていないのです。
ですから、努力し、日々鍛錬を続ける者に敗れる運命となるのです。

逆説的な論理ですが、「自分はそんなに強くない」と思っている人が勝利し、「自分は強い」と思っている人が負けるという現象が起きてきます。

「怠け」「己惚れ」という敵は自分の中にいます。
それがあると練習量及び練習内容に劣るため、最終的には試合で負けるのです。
武(武術)の道とは結局、「己との戦い」であるのです。
自分の怠け心及び己惚れという強敵に勝ってこそ、他人との勝利をつかめるということを胆に銘じてください。

《負けを素直に認める》

どんなに努力しても勝てない、そんなときもあります。
また、スランプに陥ることもあります。

それは相手も厳しい練習をこなしているからです。
練習量を増やすといっても無限に練習時間を増やすことは不可能です。
ですから、当然練習の中身(練習内容)の問題に突き当たるのです。

その際に大切なことが「負けた経験」なのです。
まずどうしても必要なことが、「負けたことを素直に受け止める」ことです。
負けたことを素直に認められない人は、その後成長することができません。
なぜならば、負けの要因が排除または改善されないからです。
ですから、また同じような負けを繰り返します。

負けを認められない、これは煩悩と呼ばれるものであり、勝利を遠ざける心の作用であるのです。
プライドを守るために負けを認められないのです。

こんな言葉があります。

「偶然の勝ちはあれど、負けは必然」

負けるには必ず理由があるのです。
負けを素直に受け入れないということは、その理由を否定することなのです。
だから成長しないのです。
負けには必ず「教訓」が潜んでいます。
負けには必ず「成長の種」が潜んでいます。

負けを素直に受け入れる人にとっては、負けとは「バネ」の役割をするものなのです。
バネははじける前にいったん縮みます。
負けとはバネが飛ぶ前の縮むことなのです。
負けを素直に受け入れない人は、「沈んで後、発する(負けて後に勝ちを掴む)」ということができないのです。

だから、負けたことを「言い訳」しないことです。
言い訳しているうちは、勝利の女神は微笑みません。
言い訳をして負けを否定しているうちは、成長のきっかけをつかめません。
負けたならば、「素直に負けを認める」ということがいつか来る勝利への道なのです。

《まとめ》

「試合とは、練習の成果でしかない」
試合における勝利とは、「練習(修練)の中にこそある」
勝つために大切なことは「意識」
「勝ちたいという願い」の“度合い”に応じて練習が作り出されていく
「勝ちたいという強い願い」と「厳しい練習」は連動している

「厳しい練習」を妨害している最大の要因は、「怠け心」と「慢心(己惚れ)」
練習量と練習内容に優ってこそ、試合にて勝利できる
本当に強い人間は、「自分を強いと思っていない」
「自分はそんなに強くない」と思っている人が勝利し、「自分は強い」と思っている人が負けるという現象が起きてくる
武(武術)の道とは結局、「己との戦い」

「負けたことを素直に受け止める」
「偶然の勝ちはあれど、負けは必然」
負けるには必ず理由がある
負けたことを「言い訳」しない

修練編4

『勝利を得るは試合にあらず。勝利を得るは日々の厳しい練習の中にあり! 強敵は他人にあらず。己こそ真の強敵なり』

押忍!

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