『修練編5 ~“考える”と“感じろ!”~』
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勝利の秘訣【修練編】5

『考えて考えて考え抜け!そして全神経を集中して“感じ取れ”!』

【解説】

《ブルース・リーの言葉》

ブルース・リーの言葉に以下のものがあります。

「考えるな!感じろ!」

この言葉を誤解している武道者が多くいると思われます。
今回は「考える」と「感じる」の2つについて解説します。

ブルース・リーは、少年期に当時の香港で有名となっていたイップマン(葉問)から詠春拳を学びます。
その後、ブルース・リーはさまざまな種類の武術や格闘技を研究し、自らジークンドー(截拳道)を創設します。
ブルース・リーは単なるアクションスターではなく、本物の武道家なのです。
そのブルース・リーが闘いの極意とも言える言葉を残しています。
それが上記で示した言葉です。
ですが、この言葉はある意味では誤解されて武道、格闘技ファンの間で広まっていると思われます。

世間一般の解釈では、「考えずに感じろ!」、つまり考えるよりも感じる方が優先する、という意味で解釈されていると思われます。
しかし、「考える」ことと「感じる(感じ取る)」ということは、相反することではなく、どちらかを選ぶものでもないのです。

実は、「考える」ことと「感じる(感じ取る)」ことはつながっているのです。
これはある意味で武術の姿を示すものでもあるのです。
ブルース・リーが示した言葉は、「実戦(相手と対戦)」の際の心得なのです。

《考えて考えて考え抜け!》

武術、武道の修練において「考える」ことは必須です。
「考える」とはどんな意味でしょうか?
主に「闘い方」を考えるということであり、その真意は「練習(修練)」の姿を指すものなのです。
つまり、練習、鍛錬のとき「考えて考えて考え抜く」ことが必要だということです。

「考える」とは、
相手との闘い方を考える。
勝つ方法を考える。
具体的な対象者を思い浮かべて対戦方法(秘策)を考える。
ということなのです。
他にも、自分の得意技を考える。
自分の欠点の克服を考える。
自分が強くなるための課題を考える(見つけて解決する)。
過去敗れた試合を分析する。
などを含むことなのです。

ですから、ただ無目的に練習するのではなく、具体的に闘うこと、勝つことを目的として「考えて練習する」ということなのです。
要するに、練習時には“考える”ということが必須だということです。

相手を想定し、相手の動きからどう動くのか、想像しながら対処を考えて練習するということです。
つまり、勝つための課題から練習のメニューを導き出すということです。
どうすれば対処できるのか、どうすれば技ありを取れるのか、どうすれば技ありを取られないのかなどを考え抜くということなのです。

逆に練習時に何も考えていなければ、一定の実力を習得することはできますが、その先の成長は止まってしまうでしょう。
成長し続けるためには、強くなり続けるためには、「考えて考えて考え抜く」ことが必要なのです。

結局、考えるとは「勝利の道(方法)を探求(研究)する」ということなのです。
事実、ブルース・リーはさまざまな武道や格闘技を研究(探求)して、一番強くなおかつ無駄のない闘い方をジークンドーとして創設したのです。
彼の武道論は独自であり、さまざまな武道や格闘技を研究したからこそジークンドーは生まれたのです。
もし、ブルース・リーが考え抜かなかったならジークンドーはこの世に存在しなかったでしょう。
決して、ブルース・リーは“考える”ということを否定していたわけではないのです。

強くなるためには、上手くなるためには、成長するためには、「考える」ことは必須であるということです。

練習時には、考えて考えて考え抜く、ということです。

ちなみに、この『武術初心者のための心得と勝利の秘訣』は、考える材料となるものです。

《考えることをやめて、全神経を集中して感じ取れ!》

これは実際に相手と対戦する際の心得であり、もっと限定して言うと技を繰り出された状態またはこちらかが何らかの動きをとったときのことを意味するのです。

しかし、試合中(相手との対戦)だからと言って、まったく何も考えないのではないのです。
戦闘が始まる前の際、相手が構えたとき、いったん両者が離された際、闘いの中で起きたことを考えることは必要です。
ですが、この場合の考えるとは“瞬間的に考える”ことであり、じっくり考えることではありません。もし、考えて分からないならば、考えることをやめるべきです。

実際の試合中(対戦)には、「感じる(感じ取る)」ことが重要なのです。
なぜかというと考えて動くことは“遅い”からです。
考えて動くと対処が間に合わないからです。
瞬間的に動くためには「感じ取る」でなくてはならないのです。

瞬間的に感じ取って対処することなくして勝利は難しいのです。
いくら試合中に考えても、試合のために考えた策を用意したとしても、相手がどう動くのかはわからないからです。
だから、「闘いの本能」または「身に付いた動き」で感じ取って動くしかないのです。

《2つを繋ぐ論理とは?》

練習時に考え抜くこと、試合中に感じ取ること。
この2つは結びつくのです。

「闘いの本能」で動く、「身に付いた動き」を無意識にする、そのためには考え抜いた練習をすることなのです。
しかも無意識に体が自然に動くレベルである必要があります。
無意識の動きが勝利に結びつくためには、考え抜いた練習をし続けることともう一つの要素が必要となります。
それは「特定の技や動きを体に“染み込ませる”」、ということです。
無意識レベルで動けるからこそ、感じ取ることが意味を為すのです。
体に染み込んだ動きは、不思議と必要なときに無意識に取れるものです。
無意識に身体が動く練習とは、「万の単位での練習」となります。
これは一つの技、一つの動きを最低でも万の単位で繰り返し鍛錬するということです。
それくらいの練習量を積んでこそ、技や動きが体に染み込むのです。
一旦体に染みこんだ技や動きは無意識に発動するのです。

要するに、闘いの最中に“感じ取って動く”ためには“考え抜いた練習”をするということが条件となっているということです。
体に染みこんだ技や動きがない者は、“何か”を感じても良い対処はできないのです。

ただし、染み込ませるのは体だけではなく、“頭”にも染み込ませることです。
頭に染み込ませるとは、この技、この動きは、どんな目的があるのか、どんな時に使うものなのか、誰を想定しているのか、ということを頭の中にも染み込ませる必要があります。
頭と体に染みこんだ技や動きは無意識レベルで動きます

なお、ここで重要なことは「自分との闘い」です。
結果重視の武道を行っている人、または才能に頼っている人は、他者との闘いに重点が置かれています。
武道の基本は己との闘いであることを忘れないことが大切です。
いくら才能があっても、過去に優勝した経験があっても、日々考え抜き、鍛錬するということは辛いことです。
怠け心や疲労などとの戦いは避けられません。
他者に勝つ前に己との戦いがあることを忘れてはいけないのです。

己との戦いとは、プロセスの中にあります。
プロセスとは、勝利に向けて鍛錬する中に自分の成長を見出すということです。
己に勝利してこそ、他者に勝てる実力が備わり、勝利を得られるのです。
そういう意味で、勝者であり続ける条件とは、己に勝利し続ける者となります。

《まとめ》

「考える」ことと「感じる(感じ取る)」ということは、相反せず、二者択一ではない。
「考える」ことと「感じる(感じ取る)」ことは連携している。

「考える」とは、「闘い方」を考えるということであり、真意は「練習(修練)」の姿にある。
考えるとは「勝利の道(方法)を探求(研究)する」こと。
強くなるためには、上手くなるためには、成長するためには、「考える」ことは必須。
練習時には、考えて考えて考え抜くこと。

実際に対戦相手を前にしたら、「全神経を集中して感じ取る」
なぜなら考えて動くことは“遅い(間に合わない)”から。
瞬間的に動くためには「感じ取る」でなくてはならない。

試合(対戦)で感じ取ることの前に考え抜いた練習がある。
考え抜いた練習とは、特定の技や動きを体に“染み込ませる”ことによって、無意識に体が動くレベルにすること。
無意識レベルで動けるからこそ、「感じ取る」ことが意味を為す。
無意識に身体が動く練習とは、「万の単位での練習」が必要。
頭と体に染みこんだ技や動きは無意識レベルで発動する。

武道の基本は己との闘い。
己との戦いとは、プロセスの中にあり。
プロセスとは、勝利に向けて鍛錬する中に自分の成長を見出すこと。
勝者であり続ける条件とは、己に勝利し続ける者であること。

修練編5

押忍!

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