『心得19 ~命を捨てる覚悟が出来たとき、一矢報いるチャンスは訪れる!~』
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心得19

『相手がとてつもなく強く、叶わない、殺されると思ったら、命を捨てろ! 命を捨てると覚悟したときに、初めてチャンスは訪れる。捨て身で突っ込め。零戦のように特攻しろ!』

【解説】

《初心者が通る最大の関門》

今回のテーマはもしかするとすべての初心者には当てはまらないかもしれません。

初心者が通る難関は、「力量の差による恐怖」でしょう。
上級者、高段者、大先輩などと組手または試合をすることになった場合、圧倒的な力量の差を感じ、「恐怖」を感じることは初心者が通る最大の関門かもしれません。
ただし、全員がこれを感じるということではないです。
それでも1度くらいは「力量の差」を見せつけられて「怖い」思いをしたことのある人は多いでしょう。

私が通っていた空手道場では、黒帯を取る際に自分よりもはるかに実力がある先輩たち(師範、師範代を含む)と組手(3人組手)をしなければならないのです。
それが黒帯試験の一つでした。
先輩や師範たちを相手に組手して、「勝てる」と思える方がどうかしているでしょう。
ですが、武道や格闘技の世界とはチンピラの喧嘩と違って、「強い人を相手にする」「強い人に立ち向っていく」という宿命を背負っているのです。
こうした場面において武道者として重要なことは、「恐怖心との戦い」なのです。
自分より力も技も勝る上級者を相手にして恐怖感を感じないほうがどうかしています。
それは防衛本能のある人間として当然のことです。
しかし、武道者の宿命として、それを乗り越えることが求められるのです。

実際、試合において、とても実力的に差がありすぎて、なにもできずに負けてしまった、という経験をした人は数え切れないほどいるでしょう。
「勝てない」ならまだましですが、実力者の殺気に満ちた闘気を感じ「殺される」と思った人もいるでしょう。
(試合だから殺されることはありませんが)
ですが、なかにはやんちゃな人というか、暴力好きなのかと思うような強い人が世の中にはいるものです。
それは草食動物が肉食動物に襲われるようなものです。

肝心なことは、「恐怖」を感じたから「弱い」のではなく、これを克服できなかったら「弱かった」で終ってしまう、ということです。
「恐怖」自体を感じるのは実力差があれば当然です。
それが人間の本能です。
では、そうしたときの「心得」とは?

《命を捨てろ!》

「恐怖」に打ち勝つ心得とは?
「命を捨てる」です!

「命を捨てる」ということは、自己保存、自己防衛の気持ちを払拭し、逆に闘志に火をつけるということです。
別の言葉で言うと「覚悟を決める」ということです。
相手との闘いの前に、己の心と戦うということであり、己の弱さを払拭することです。
恐怖は、ある意味で生物としての本能であり、煩悩でもあります。
ですから、煩悩の滅却が求められるのです。
そこには自己肯定感や努力の裏付けなどが当然必要となってきます。
また、未来の自分への期待もあります。

結局、恐怖を克服することは「無心」となることと同義なのです。
勝てるか負けるか、ということを考えるから、結果を予測しているから恐怖を感じるのです。
結果の予測ではなく、自分が砕け散ってでも一矢報いるという心境になれたならば、恐怖は影を潜めるのです。

《覚悟を決めるとチャンスが生まれる》

試合や組手で対峙したときに「勝てない」と思う瞬間はあるでしょう。
実力差が接近していれば、なんとか勝機を見出そうとするでしょうが、圧倒的な実力差がある場合(感じる場合)は、勝てないと思った瞬間から戦闘力が低減します。

圧倒的な実力差がある場合に重要なことは、「捨て身となって闘えるかどうか」、なのです。
それは「覚悟を決められるか」ということです。
これは肉体的実力の問題ではなく、技量的な実力の問題でもなく、精神の問題なのです。
精神力において相手と対決するということです。
たとえ技が通用しなくても、たとえ力でねじ伏せられたとしても、それでも覚悟を決めて突撃できるか、という精神の問題なのです。
嘘のようですが、そうした覚悟を決めると「チャンス」が訪れます
闘いを捨てなければ、チャンスが転がり込むことがあります。

実際に、私が少林寺拳法の合宿で経験したことがあります。
香川県多度津の本部から実力者が一緒に練習する(コーチとして)こととなり、合宿の際に乱取り(空手でいう組手)をしました。
確か当時で4段か5段の高段者だったと思います。
コーチの連続的に繰り出される攻撃に圧倒され、こちらは下がって距離を取るしかありませんでしたが、私の心は折れておらず、左中段廻し蹴りをコーチに入れました。
コーチは、「そこまで追い込まれて、蹴りが出せるのか」と驚いていました。
無心の一撃(ひと蹴り)でした。
これは私の経験ですが、大切なことは「恐怖心」に支配されてしまうと勝機が見えなくなることです。
たとえ試合に負けたとしても、実力的に劣っていても、一矢報いることはできるのです。
いや、一矢報いると思わなければいけないのです。
なぜならば、それがその人のその後の成長に大いに関係するからです。
恐怖心を克服できない人は、成長が止まってしまいます。
技は上手くても、闘い(試合)に弱い選手となってしまうのです。

ですから、言いたいことは、「捨て身で突っ込め」、「零戦のように特攻しろ」ということです。そのときチャンスの女神はほほ笑む、ということです。
試合(勝負)に負けても、己には負けない、ということが肝心なのです。
それが今回の心得です。

注:「命を捨てろ」というのは本当に死ねということではありません。

《まとめ》

圧倒的な力量の差を感じ、「恐怖」を感じることは初心者が通る最大の関門。
武道や格闘技の世界は、「強い人を相手にする」「強い人に立ち向っていく」という宿命を背負っている。
「恐怖心との戦い」は、武道者の宿命として、それを乗り越えることが求められる。
「恐怖」を感じたから「弱い」のではなく、これを克服できなかったら「弱かった」で終ってしまう。

「恐怖」に打ち勝つ心得とは?
「命を捨てる(覚悟を決める)」こと。
己の弱さを払拭すること
恐怖を克服することは「無心」となることと同義。
砕け散ってでも一矢報いるという心境になれたならば、恐怖は影を潜める。

圧倒的な実力差がある場合に重要なことは、「捨て身となって闘えるかどうか」「覚悟を決められるか」ということ。
これは肉体的実力の問題ではなく、技量的な実力の問題でもなく、精神の問題。
覚悟を決めると「チャンス」が訪れる。
闘いを捨てなければ、チャンスが転がり込むことがある。
恐怖心を克服できない人は、成長が止まってしまい、技は上手くても、闘い(試合)に弱い選手となってしまう。
「捨て身で突っ込め」、「零戦のように特攻しろ」、そのときチャンスの女神はほほ笑む。
試合(勝負)に負けても、己には負けない。

心得19

『相手がとてつもなく強く、叶わない、殺されると思ったら、命を捨てろ! 命を捨てると覚悟したときに、初めてチャンスは訪れる。捨て身で突っ込め。零戦のように特攻しろ!』

押忍!

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